-リオデジャネイロについて-
2016年リオ・デ・ジャネイロオリンピック開催地でもあり、発展の絶頂を迎えています。リオデジャネイロは、人口600万人を超え、サンパウロに次ぐブラジル第2の大都市です。
“Rio de Janeiro”は、ポルトガル語で「1月の川」を意味し、グアナバラ湾を発見したポルトガルの探検隊がこの湾を川と勘違いしたことに由来しています。
リオデジャネイロ 有名な「リオのカーニバル」開催時期の2月には、世界中から観光客が集まります。また、数々の美しいビーチリゾート、サッカー大国ブラジルを代表する名門クラブの本拠地、ショーロ・サンバ・ボサノヴァを生んだ音楽の都、「世界三大美港」のひとつとしても有名です。2014年のサッカーワールドカップ、2016年の夏季オリンピックの開催地となっており、今後益々の整備・発展が期待されます。
Morro do Corcovado(コルコバードの丘/シュガーローの丘):
標高710mのコルコバードの丘にそびえる高さ38mのキリスト像はリオデジャネイロ市のシンボル。丘の上からはリオデジャネイロの街並みと美しい海岸線の素晴らしい眺望を楽しめます。2007年には、「新・世界七不思議」の一つに選出されました。観光客が少なく逆光にならずに写真を撮れる午前中早い時間帯の訪問がおすすめです。
Pão de Açúcar(ポン・ジ・アスカール):
グアナバラ湾にそびえる高さ約396mの円錐状の岩山。
その形状が、砂糖パンに似ていることが名前の由来。2つのロープウェイが結ばれ、第1ロープウェイで海抜220mのウルカの丘へ到着し、そこから第2ロープウェイで頂上へ行くことができます。
山頂からは、まるで海上からリオデジャネイロ市街を見渡しているような景観が楽しめます。夜景の美しさやロッククライミングでも有名です。
Praia de Copacabana(コパカバーナ海岸):
全長約4.3kmの海岸線は弓状に弧を描き、世界的に有名な白砂の海岸。海岸に面したアトランティカ通りには高級ホテルが建ち並び、モザイク模様の遊歩道にはレストランやカフェテラスのテーブルや椅子が並んでいます。ビーチバレーやビーチサッカーの世界選手権・ワールドカップも開催されました。
Estádio do Maracanã(マラカナン・スタジアム):
収容人数11万5000人を誇る世界最大規模のサッカー専用スタジアム。
1950年開催のワールドカップ・ブラジル大会の際に建設されました。2014年ブラジルワールドカップ決勝戦、2016年夏季オリンピックの開会式/閉会式・サッカー競技を行うことが決定しています。警備体制も厳重で、R$20からサッカー観戦をすることができます。
The Metropolitan Cathedral of Saint Sebastian(セバスチャン大聖堂):
高層ビルがある大都会の中にあるカテドラル・メトロポリターナ。
外観からだと教会だと分からないモダンな造りとなっています。中へ入ると、天井まで煌びやかに輝くステンドグラスの光景に目を奪われるでしょう。
Pestana Rio Atlantica(ペスタナ・リオ・アトランティカ)
Avenida Atlântica, 2964, Copacabana, Rio de Janeiro, Brazil
コパカバーナのビーチフロントに位置するPestana Rio Atlanticaは、徒歩1分でビーチへ遊びに行けるという最高のロケーションです。またコルコバード丘、シュガーローフ、植物園、周辺地域など、市内の観光スポットから数分の場所にあり、仕事と観光の両方を楽しむ人にとって理想的なホテルです。Deck Barは夜の始まりに最適な場所のひとつです。プールはホテルの屋上にあり、オーシャンビューを一望できます。
客室
全247室のモダンスタイルの客室があります。海の眺めを楽しめる「オーシャンスイート」では、部屋から壮大な日の出を見ることができます。部屋のタイプはデラックス、プレミアム、スイート、プレミアムスイート、ジュニアスイート、ラグジュアリープレジデントスイートと分けられています。各部屋には、バルコニー、エアコン、専用バスルーム、Free Wi-fi、ミニバー、テレビ、セーフティボックスを備えております。
施設とサービス
屋上プール、ジム、レストラン/バー、会議室、Free Wi-Fi、24時間対応フロント、ランドリーサービス(有料)、ルームサービス、ツアーの手配、自転車レンタルなど。
南米を語る上で絶対に外せないイベント、リオのカーニバル。
数千人規模のチームがそれぞれの演奏、踊り、演出等で競い合い、多くの旅行者を魅了し続けています。
カーニバルとは
元々カーニバルとは、ポルトガルの謝肉祭エントゥルードが植民者によってブラジルに伝わったものです。イースター(キリストの復活祭)までの40日間を禁欲生活の期間として、その期間が始まる前の4日間を開放的なお祭りとしたのがカーニバルの始まりとされています。
ブラジルにおいてのカーニバルは、ポルトガル人たちが持ち込んだキリスト教による儀式(パーティーや仮装したりして祝っていた)と、黒人奴隷たちが元々持っていた土着信仰である、カンドンブレの儀式が融合したものです。リオやサルバドールなど、かつて黒人の輸入港であった都市は現在でも有数のカーニバル開催地として知られています。
キリスト教では伝統的に陰暦(月暦)を使用している為、カーニバルの期間が毎年変わりますが、この時期はリオだけでなく、ブラジルの至る所でカーニバルが行われます。カーニバルは地方によって千差万別で、その中でもリオやサルバドール、レシフェやオリンダのカーニバルが有名です。
サンバの歴史
19世紀末、サンバは当時の首都リオ・デ・ジャネイロに、バイーア地方から多くの黒人奴隷が流入したことをきっかけに誕生しました。
当時、リオではプラッサ・オンゼ(第11広場)という場所に黒人が住み始め、サンバの原型となる踊りや音楽をリオにもたらしました。
彼らは儀式の後などにパーティを開いて、これらの音楽やダンスを披露。後に伝説の演奏家と呼ばれる人々の多くが、パーティでルンドゥー、マルシャ、ショーロ、マシーシ、バトゥーキ(バトゥカーダ)などを演奏し、そうした環境の中からサンバが生まれました。
初期のカーニバルは白人上流階級のものであり、サンバは警察によって危険視されていました。
また1920年代には、サンバは非合法・ごろつきの音楽だと認識されていました。 サンバはファベーラ(貧民街)に押し込まれ抑圧されながらも、それでも生き残り、1928年に最初のエスコーラ・ジ・サンバ(「サンバの学校」と訳される共同体。コミュニティセンター的役割も持つ)のデイシャ・ファラールが誕生しました。
リオのエスコーラ・ジ・サンバのパレードは、1932年に新聞社が主催してサンバの曲のコンクールが開催されたことがきっかけで始まりました。 1935年には、当時の大統領によりエスコーラにかけられた弾圧が解かれ、黒人もパレードに参加できるようになりました。
その後、40年代に政府の民衆政策と観光局の応援を受けて、現在のようなコンテスト形式のサンバ・カーニバルとなりました。
リオのカーニバルのシステム
ただハメをはずして騒ぐパレードのように誤解されていますが、8万人の観客を巻き込んで繰り広げられる熾烈な競技会であり真剣勝負の場なのです。審査員によって各チームに厳密な採点がなされ、その年の優勝チームが決定します。
通常カーニバルは、土曜日〜火曜日までの4日間に渡り行われます。そのうち、トップグループ(=一軍)の12~14チームが日曜・月曜の2日間に分かれて競い合うのが本選です。初日はオープニングパレードといって二軍が行い、最終日は三軍が行います。
各リーグの最下位チームは来年度から降格し、代わって優勝、準優勝のチームが昇格します。各チームは優勝を狙い、このトップグループに残ることに全力を尽くすのです。
一方、チャンピオンパレードは、本選で上位に入賞したグループが、カーニバルが明けた次の土曜日に、お披露目としてパレードを行うものです。ブラジル経済同様、カーニバルの経済効果も年々その規模を拡大しています。
各エスコーラは億単位の賞金を狙い毎年数千万、数億の予算をつぎ込んでパレード本番に臨みます。
年に1度、世界各地でカーニバルは開催されますが、ブラジル国民、特にリオ市民のカーニバルにかける情熱は世界一でしょう。
チームの構成
採点基準
会場について
トップチームが競い合うメインのパレードは、リオ市中心部にある専用会場、サンボドロモで開催されます。この8万人収容の巨大スタジアムは、世界的に有名なブラジル人建築家、オスカー・ニーマイヤーによって設計され、1984年に完成しました。2016年のリオ・デ・ジャネイロオリンピックでは、開会式セレモニーの会場としても使用される予定です。チケットはセクター、クラスごとのご料金に分かれています。
アクセス
会場と街の中心部や海岸部にある主要なホテルを結ぶ、専用シャトルがおススメです。
地下鉄は最寄の駅(プラサ・オンゼ、またはセントラル)から会場まで徒歩30分程度かかり、タクシーは渋滞に巻き込まれる可能性が高いです。カーニバルの開場時間は17:00です 。自由席を予約した場合は早めに会場入りし、座席を確保された方が良いでしょう。
2019年の日程
来年のカーニバルの日程は3月1日(金)~4日(月)の4日間がメインパレード3月9日がチャンピオンズ・パレードです。