南米一の観光大国、ブラジル。
数ある見所の中から厳選した、弊社オリジナルのツアーをご案内いたします。
ブラジルは南米一、そして世界でも5番目の国土面積を誇る国です。
世界に名立たるサッカー王国として、または毎年春にリオ・デ・ジャネイロやサルバドール、
レシフェ、オリンダなどの各都市で行われるカーニバルの国としても有名です。
実際にこの国を訪れ、人々の情熱と笑顔に触れれば、あなたもきっとこの国に魅了されるでしょう。
人種のモザイクとして活気溢れる巨大都市サンパウロ、ペルナンブーコやサルバドールといった地方独特の文化が持つ無限のエネルギー、アマゾンフォレストにおける野生的な動植物たちの多様性、そしてイグアスの滝を始めとした、世界クラスの観光名所の数々。何度訪れても飽きることのない国、ブラジルの魅力を思う存分発見し、ご堪能下さい。
首都:ブラジリア
言語:ポルトガル語
通貨:レアル (R$) US1ドル = R$ 3.1(2017年10月現在)
時差:サンパウロ、リオ・デ・ジャネイロは日本より12時間遅れ サマータイム中は日本より11時間遅れ/ マナウスは日本より13時間遅れ/ リオ・ブランコは日本より14時間遅れ
電圧とプラグ:都市によって電圧が違うので予めご注意ください。110V(サンパウロ,リオデジャネイロなど)、127V(マナウスなど)、220V(ブラジリアなど)。60ヘルツ。ブラジルではNタイプの3ピンプラグに順次移行していますが以前使われていたAタイプやCタイプ、Eタイプと混在しているので変換プラグが必要です。
気候:熱帯性気候(北部、アマゾン)、亜熱帯性気候(サンパウロ、リオ・デ・ジャネイロ)、湿帯気候(クリチバ、ポルト・アレグレ)
2018年1月11日(木)より電子査証システム(e-Visa)が開始されました。
現在、オーストラリア、カナダ、米国及び日本国籍所有者へ適用されます。
観光・通過・商用ビザに適用され、有効期間は最長2年となります。また、ビザ発給を受ける際、手持ちのパスポートの有効期限が2年未満の場合はパスポートの有効期限が最長有効期間となります。
申請方法:
e-Visa申請に必要な書類はパスポートのコピーと写真です。
写真は今まで通りの規定、または、日本のパスポート用の写真と同じサイズでお願いします。
背景は白です。写真に問題があった場合は、手続きが中断され、申請者に返却されますのでご注意下さい。
未成年の場合は、ご本人のパスポートのコピーと戸籍謄本が必要です。
単独または片方の保護者のみと旅行される場合、同行されない保護者の同意書が必要です。
同意書のご署名はパスポートと同じ署名でお願いいたします。印鑑を押印される場合、印鑑証明書を添付してください。
ご不明な点やご質問などございましたら、VFS Globalヘルプライン03-6634-4955
またはe-mail: info.braziljap@vfshelpline.com へお問い合わせ下さい。
サポート時間は午前9時(日本時間)から午後17時(日本時間)までとなります。
出典:在東京ブラジル領事館HP
概要
ブラジルの歴史は、約8000年ほど前、最初のアメリカ大陸先住民の移住者が現在のブラジルに定住した頃にさかのぼります。開拓・移住の歴史は1500年のポルトガル人の来航をもって始まります。
以後はポルトガルによる植民地時代(1500年-1822年)、ポルトガルのブラガンサ王室皇太子を皇帝に推戴して独立した帝政時代(1822年-1889年)、帝政を打倒した共和政時代(1889年-現在)に大別されます。
1532年、サン・ヴィセンテとピラチニンガに初めて恒久的な入植地が築かれました。
16世紀から18世紀にかけてブラジルはポルトガルの植民地であり、「発見」初期にはブラジルの木、のちには沿岸部のプランテーションでのサトウキビの生産や、内陸部での黄金採掘が主な産業でした。
この時期に沿岸部のインディオはほぼ絶滅し、労働力として大量の奴隷がアフリカから連行されました。1822年9月22日にブラジルはポルトガルからの独立を宣言し、立憲君主制を取るブラジル帝国が成立しました。ポルトガル王室に連なるこの国家は、軍事クーデターにより1889年11月15日に共和制に移行し、1891年に共和国憲法を発布しました。
以後ブラジルは現在に至るまで法律上は民主主義国家ですが、三度にわたる独裁政治政権を経験しています。
日系移民について
1908年6月には日本からの本格的移民が開始され、移民船第一号となる笠戸丸がサントスに入港しました。その後第二次世界大戦中の断交状態(ブラジルは連合国として参戦)と1950年代初頭の国交回復を経て、常に活発な人的、経済的交流が行われてきました。
現在では日本人移民の子孫は5世、6世の世代になり、サンパウロの世界最大級の日本人街「リベルダーデ」を中心に、海外で最大の日系人社会(約140万人)を持つなどブラジル社会に完全に溶け込んでいます。ブラジルはその距離の遠さに反比例して世界各国の中でも特に日本との縁が非常に深い国です。
現在のブラジル
2003年1月に発足したルーラ政権では、元労働組合の指導者だった大統領の経験が生かされ「飢餓ゼロ」計画等、貧困家庭向けの食料援助や援助金制度などが推進されてきました。
貧困家庭の生活水準改善を着実に進め、経済発展に取り残されていた内陸部へのインフラ整備も進みつつあります。外交面では、南米統合へのリーダーシップも発揮し、2006年10月の大統領選挙でもルーラ大統領は、貧困層の圧倒的な支持を得て再選しました。
ルーラ政権下では2014 FIFAワールドカップブラジル大会や、リオ・デ・ジャネイロオリンピック(2016年)という二大スポーツイベントの招致に成功し、開催へ向けての準備が始まっており、2011年1月1日からは労働者党出身のジルマ・ルセフ新政権が発足、ルーラ大統領の政策が受け継がれています。